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蜂毒 少量でも猛毒になる理由

ハチは昆虫綱の膜翅類(まくしるい)に属します。
膜翅類とは字の通り、翅(はね)が膜のようになっているものです。
もちろん、昆虫の羽は膜のようですが、膜翅類に対しては、鞘翅類(しょうしるい)があり、 カブトムシやクワガタのように身体や羽の保護を兼ねた上皮と上羽が硬いものを指します。
膜翅類にはアリも含まれ、アリを除いたものがハチとなります。
ところで、アリというと羽が無いと思う方が多いと思いますが、新しく羽化した女王アリには羽があり、オスアリと共に新しい営巣の地を求めて飛び立ちます。 ハネムーンです。

ハチの場合も同様で、女王蜂が新しい営巣地を求めて飛び立つことを“分蜂(ぶんぽう)”と呼びます。
飼われているセイヨウミツバチにも分蜂があり、しばしば人家近くや林などに営巣し野生化します。
都会でも公園の花を目当てに養蜂家が巣を置くことがあるようなので、そこから逃げ出した(分蜂)蜂たちが作った巣を思わぬ所で発見できるかも知れません。

ここで、身近なハチ3種のハネムーンについて触れておきます。
ミツバチは古い女王蜂が働き蜂の半数を引き連れて巣を去ります。
スズメバチの新女王は雄蜂と共に地下で越冬、古い女王と働き蜂は冬の寒さの中で全滅します。
アシナガバチは新女王蜂が羽化すると今まで行われていた育児活動は中止され、古い巣は棄てられ、新女王蜂は雄蜂と巣を去り、新女王だけが越冬します。
ですから、“分蜂”という用語は主にミツバチに使います。

膜翅類を形態で区分すると、腰の部分が広い“広腰亜目”と腰の部分が狭い“細腰亜目”に分かれます。
この分類は極めて重要な意味を持ちます。
というのは、皆さんが ハチ! と慄いて見るものは腰の細いハチだからです。
ワープウェスト(スズメバチの腰)という憧れの体型があるようですが、ハチの腰が細いのはもちろん美人形を競っているのではありません。
胸と腹部を繋ぐ胴を細くし、毒針を持った腹部をあらゆる方向に動かせるようにしているのです。

ただ、細腰亜目のハチ全てが人間に深刻な危害を加える訳ではなく、細腰亜目は更に有錘類と有剣類に分かれ、 有錘類は青虫などに卵を産み付ける寄生蜂で危害を与えません。
一方の有剣類の内、女王蜂を中心に彼女の子供たちが作る集団を持った、所謂“社会性蜂”と言われるものが巣の防衛のために毒針を使い、 その中で 最も恐れなければならないハチは次の2類になります。
スズメバチ科スズメバチ類
スズメバチ科アシナガバチ類

スズメバチやアシナガバチは、蚊などから比べたら身体も大きく、黒と黄色の警戒色をまとっていて如何にも恐そうなのでご存じない方は少ないと思いますが、ご参考に見た目の感想を書きますと、スズメバチは少し肥えた体躯で、顔が頑強そうです。
アシナガバチは少し細身の体躯で、名前どおり長い後脚をだらりと下げて飛んでいます。

アシナガバチは友達の家の軒や垣根近くを飛んでいるのをよく見かけました。こんなとき、私は異常に怯えました。
飼っていた為かミツバチには愛らしい面も感じていたのですが、アシナガバチの大きさと黄色と黒の警戒色、だらりと下げた長い脚、何処から見ても異様なものに思えたのです。
スズメバチは恐い、アシナガバチは気味が悪い、一言で表現するならこうなります。
恐いもの、気味が悪いものには異常に怯える性格が幸いしてか、近くの山野に植物採集に行くような時代を過ごしたにも関わらず、 アシナガバチやスズメバチに刺されたことは一度もありません。

蜂の針は卵を産み付ける産卵管が変化したものです。
ですから1種を除いて雄蜂には針はありません。
この1種は寄生蜂の“ツチバチ”で腹部に3本の針状突起を持ち、防御のために刺します。(毒は無い)

では、怖れられているスズメバチ、アシナガバチ、またミツバチのメス全てが刺すか、と言うとそうでも無いようです。
例外は女王蜂です。
女王蜂もメスですから毒針を持っていますが、彼女は敵を防ぐより逃げます。
巣の中で唯一産卵できる彼女の戦死は種を滅ぼすと知っているようです。

これは毒針 にも表れています。
スズメバチやアシナガバチ、ミツバチの働き蜂の針 は毒液を注入する針の両側から尖端に鋸歯が付いた2つのカバーで覆うような構造になっています。
そして、皮膚に刺さると、鋸歯の付いたカバー2つは、人間が左右の脚を互い違いに出して進むように交互に動いてより深く突き刺さるようになっています。
ところが、女王蜂の針は鋸歯の数が少なく、皮膚に深く突き刺さらない代わりに簡単に抜けるようになっています。
自己を守るために切羽詰って針を使っても直ぐに逃げられるようにでしょう。
また、ミツバチの毒針はスズメバチなどのように発達せず、カバー尖端の鋸歯の数が少なく、女王蜂の針は武器としては至極簡単です。
このような毒針の構造の違いから解かるように、スズメバチやアシナガバチに刺されるとミツバチより深く刺さる上、 スズメバチは脚で皮膚(或いは服)を掴んで身体を固定し、皮膚に垂直に何度も刺し、 しかも刺す度に皮膚に毒液を注入できるので、痛みとその後の症状は強いものになります。

蜂類の毒液の成分について

ハチに刺されると先ず針で皮膚を破られる物理的な痛みが走りますが、直に毒液中の“発痛物質”による痛みに変わります。
ここで、疑問が湧いてきます。
ハチという取るに足りない小さな生き物の毒に、なぜ怯えるほどの力があるか? ということです。
熊以外に敵が居ないといわれるオオスズメバチは体長40mmに達するものがあるのでけして小さいと言えませんが、その毒液の量は平均僅か4.1マイクロリットルです。

微量でも発痛するのは、ハチ毒の成分が人間の機能にとって重要な成分と細胞を溶解する成分が含まれているからで、 正に毒と薬は紙一重なのです。

先ず重要な成分は、“生理活性アミン”と言われるもので、
ヒスタミン
胃・小腸・肺、肥満細胞に分布
胃酸分泌促進、炎症、アレルギーに関係する
セロトニン
脳などの神経細胞、小腸、血小板に分布
神経伝達物質、腸管運動促進、毛細血管収縮などに関係する
ドーパミン
脳錘体外路系に分布
神経伝達物質である
アドレナリン
副腎髄質、脳神経組織に分布
副腎髄質ホルモン、神経伝達物質である
ノルアドレナリン
副腎髄質、脳神経組織に分布
神経伝達物質である
アセチルコリン
神経伝達物質である

これらの物質の中で痛みを一番感じるのはセロトニンで、大型のスズメバチの毒嚢には、5−10マイクログラム含まれています。

“アミン”というのは、アンモニア中の水素原子を炭化水素基[CH3]でおきかえて得られる化合物の総称ですが、「ハチに刺 されたらアンモニアをつけろ」という民間療法を思い出してしまいました。
この誤った治療法はハチはアリに似ている、アリには“蟻酸”があり、蟻酸は酸性、 酸性ならアルカリ性のアンモニアで中和すればよい。
という話になっているようです。(ハチ毒にアンモニアは効きません)

スズメバチやアシナガバチには生理活性アミンの他に“ハチ毒キニン”と呼ばれる発痛物質があります。
“キニン”とは蛇毒に血清を加えて生じる物質で血圧降下、腸管などの平滑筋収縮、皮肉に注射した場合には血液が漏れるなどの作用がありますが、ハチ毒にも同じ作用がある物質が見付かり、ハチ毒キニンと名づけられました。

ハチ毒キニンはハチの種類によって異なるのですが、“ブラジキキニン”と呼ばれる
「アルギニン—プロリン—ヒドロキシプロリン—
—グリシン—フェニルアラニン—セリン—プロリン—
—フェニルアラニン—アルギニン」
という9個のアミノ酸で出来ている部分は共通です。

ここでおもしろいのは、人間が怪我をした場合、血漿成分の一つ“キニノーゲン”からブラジキキニンが遊離されて生じるということです。
すなわち、 ハチは微量の毒液を皮肉に注入することによって、大怪我を負わせたのと同じ症状にする訳です。

細胞を破壊する毒について

ミツバチにはハチ毒キニンは含まれて居ないのですが、その代わり“メリチン”と呼ばれる溶血物質が含まれて居ます。
これは26個のアミノ酸からなる長い鎖状のペプチドで、その鎖の一方が“親水性”で、もう一方が“疎水性”になっています。
疎水性部分と親水性部分が結合しているもので思い出すのは洗剤に入っている“界面活性剤”です。
洗剤の場合は脂と水をくっ付けるのですが、メリチンの場合は、細胞膜に含まれるリン脂質に結びつき、細胞膜を壊してしまいます。
その他ミツバチには肥満細胞内の顆粒を壊し、ヒスタミンを放出させ、アレルギー症状を出させるペプチドも含まれて居ます。

スズメバチやアシナガバチには“マストパラン”と呼ばれる低分子量のペプチドが含まれて居ます。
これもメリチン同様に界面活性剤と同じ働きをするのですが、親水性疎水性が変わるため、より巧妙に細胞内に侵入し、細胞を壊し、ヒスタミンを放出させるようです。

ハチ毒の成分には血圧降下作用、溶血性作用のあるものが含まれているので一度にたくさんのハチに刺されてしまった場合にはショック死になる可能性があります。
しかし死亡事例の多くは、毒液に含まれている酵素がアレルギーの抗原になり、何度か刺されている内に抗体が出来、その抗体と次に侵入してきた抗原との反応で死に至っています。
なおス ズメバチとアシナガバチの毒液に含まれる抗原と、ミツバチのそれは異なるので、スズメバチやアシナガバチでショックを起こさない人でも、小さなミツバチでショックを起こすことがあります。
当然、その逆もありますし、一度目がアシナガバチで、次にスズメバチに刺されてショックもあり、その逆もあります。

蜂毒によるショックを起こした場合、刺されてから60分以内に医師による適切な処置を受けないと90%程度の死亡率になるようです。
ですから、(特にスズメバチに)刺された場合は直ぐに医療機関に向かうのが賢明です。

蜂に刺されたときの応急処置

その場での応急処置は、ミツバチに刺された場合は刺された部位に針と毒嚢が残っているので、毒嚢を潰さないように指で弾き飛ばします。
毒嚢を潰したり残しておくと更に毒液が注入されてしまいます。

スズメバチやアシナガバチに刺された場合は重篤なショックに陥る可能性があるので刺された箇所より心臓に近い部分をハンカチやロープで縛り毒液の混じった血液の流れを止めます。
但し、15分に1分は緩めないと、縛った箇所より遠い部分が壊死する危険があります。
もちろん、応急処置を済ませたら医療機関に急いでください。

話の順序は逆になりましたが、スズメバチだけに見られる外敵に対する警告 があります。
彼らは巣の周り数メートルから10メートル内を偵察していて、外敵が近づくとその近くに寄り 「カチカチ」と顎で音を立て、羽音も高くします。

刺される時季は、夏から晩秋までが多く、無造作に巣に近づくと(オオスズメバチで巣から数メートル内)刺される可能性があります。
特に黒髪のある頭部や黒い衣服が危険です。
黒い物を目掛けて刺すのは蜂の天敵が熊だからという説があります。

また、オオスズメバチは全てのハチ類の天敵なので、スズメバチの周囲に居る他の種類のハチにも警戒しなければなりません。
彼らは自分たちの巣を守ろうと極度の警戒態勢に入っているため、近づく者に対して直ぐに攻撃を仕掛けて来るのです。
オオスズメバチ同士も巣が違えば闘うことがあります。

不幸にも刺されてしまった場合には、姿勢を低くしてゆっくり逃げます。
1匹に刺されると辺りに警報フェロモンが放出されるので、蜂を興奮させないように振舞っていても次から次へと刺しに集まって来ます。
スズメバチは刺す物を捉まることさえ出来れば、長靴などかなり厚い物の上からでも刺すというので御注意ください。

最後になりましたが、女王蜂が単独で巣作りをしている時期が退治の絶好機 です。
先に書きましたように、女王蜂には戦意が無く逃げるのみです。
何にしろ、ハチ、特に恐ろしいスズメバチは鉄道の踏み切りの遮断棒のような黄と黒の横縞衣装で「近づくな!」と警告してくれているのですから、人家近くに営巣されない限り近づかない方が賢明です。

参考書籍
生物毒の世界 日本化学会編 大日本図書(株)
蜂の生態と蜂毒及びその予防、 治療対策 林材業労働災害防止協会
生物科学総説 山本幸男・菅沼教生 共著 理工学社