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ガラスを割る方法(脱出用ハンマー)とガラスが割れる理由

自動車が水没してしまうと水圧によってドアが開かなくなるので、脱出するにはガラスを割るしかありません。
ご存知のように車に付けられているガラスは家屋の窓ガラスの様に簡単には割れませんが、脱出用と銘打って売られているハンマーで打つと容易に砕け落ちます。
このハンマーの仕組みはどうなっているのでしょうか?
強靭な自動車用ガラスを割るのですから鉄製の重い鎚かと思うのですが、数百グラム程度の軽いものです。

ハンマーの話は後述にして、形のある物を割るという意味を考えることにします。
物の形はその物を作る原子や分子が結合して固まっている姿ですから、割るということは、原子や分子の結合部分を切ることです。
結合を切られた原子や分子はエネルギーが高い状態で不安定になっています。
水のような液体の場合は結合を切られた分子は近くに相手を探し、より安定した状態(不安定な分子が一番少ない、言い換えれば表面積が一番小さい)になろうとして球形になります。水玉です。
結合を切られても自由に動いて相手を見つけられない固体の場合は、原子が相手を探す力は粘着力となります。
ですから簡単に割れるかどうかは、どのくらいのエネルギーで表面積が増やせるかということでもあります。

また、原子配列が滑りやすいかどうかで物の割れ方も変化します。
積んだ積み木がずれる様に原子と原子の間が滑るような物質の場合は外部からの力を物の形を変えることで吸収してしまいます。
身近な物では鉄やアルミで、外部からの力で変形して元の形に戻らなくなりますが、力を加え続けないと割れません。
このような変形を 塑性変形 といい、積極的に利用しているのは自動車のボディーです。衝突しても変形する事で衝突のエネルギーを吸収しています。

一方、ガラスや陶器は或る限界点までは変形し、元に戻りますが、それを超えると元に戻らない変形というプロセスを経ずに割れます。
これを“弾性変形 ”といい、変形によって吸収されるエネルギーは少ないので割ることが主眼ならエネルギー効率が良い訳です。

脱出用ハンマーでガラスを叩くと“衝撃力”が働きます。衝撃力は物と物とが激突した際の極短い時間に働く力 で、衝突した物体の持つ運動量と、その物体から受けた力積が等しいことからその衝撃力を計算します。
質量mの物体が速度Vで動いているとき、この物体が持つ運動量は(m×V) です。
力積というのは文字通り、力を時間で積分したものですが、簡単の為に、t時間、平均Fの力で衝撃を受けたと仮定すれば、力積は(F×t)です。
そして、物体の持つ運動量が全て力に変わったと仮定すると
F×t=m×V
衝撃力は m×V/t となり、 これから衝突する物体の質量が大きいだけでなく、当たる速度が大きい事も重要だと判ります。

次に衝撃力が物体(ガラス)に与えるものを考えましょう。
直感的に衝撃は打たれた点から3次元的にガラス内に伝わると理解できます。
先ず、打たれた部分が圧力で縮み、衝撃による圧力なので直ぐに解放され、その物が持つ復元力で今度は伸びます。 伸びると、そこに隣接している部分が圧縮されるという形で、密度の高い部分(圧縮されている)と低い部分(伸びている)が交互に伝わる疎密波として次から次へと広がっていきます。
これは音が物質内を伝わる仕組みと同じです。

この疎密波が及ぼす力を計算してみようと思います。
簡単の為に或る直線方向の断面積Aの棒状部分に伝わると仮定し、この疎密波が伝わる速度をcとすると、 衝撃を受けてから極短い時間t経った点(ct)までの部分が速度Vで動くと、動いた部分の質量は (ρAct)となります。
ここでρは密度(単位体積当たりの質量)です。
ここでまた力積の力を借ります。即ち、運動量の変化=力積 という関係です。
運動量の変化が判っている場合は、それを時間で微分すれば力が判ります。
ですから、0から速度Vまで質量(ρAct)の部分が動いた場合の運動量は
(ρActV)で、 これを時間で微分すると、 力 F=ρAcV
ここで、“ 応力 ”という概念を導入します。
応力とは物体内で圧したり引っ張られたりする力で、N/mmで表されるとおり、単位面積当たりに掛かる力です。
求めた力Fを応力Wに変換すると
W=ρcV
となります。

このように 衝撃を受けると、受けた地点から(ρcV)という応力Wが物体内を移動します。
これを“応力波 ”と呼びます。

ここでもうひと捻りします。
棒状の物体内を疎密波が移動する速さcは、ヤング率Eを密度ρで割ったものの平方根に等しいという関係があるので
(E=ρcc)
応力を表す(ρcV)からヤング率Eを入れてρを消すことが出来ます。
ヤング率は、固体に力を加えてその物体の長さが変化した場合の “力と変化した長さの割合の比”で、物質ごとに決まっている定数です。
結局、応力の大きさは(EV/c)で表されます。
cは物質で決まっているもので、物質内を伝わる音速と同じです。
ヤング比率Eも物質で決まっていますから、私たちが変えられるのは最初に物体の一部分を移動させる速度Vだけです。
ハンマーでガラスを割る場合なら、ハンマーがガラスに当たる時の速度だけです。
ハンマーが軽くてはガラスの一部を移動させる速度は出ないと思いますが、本質的にはハンマーの重さには関係ありません。
ガラスを割るには、ハンマーの重さは関係無く、ガラスの一部分を速く動かし、強力な応力波を作り出すことが重要です。
ですから、自動車の緊急脱出用ハンマーは意外に軽いのです。
ガラスを割る ガラス器を落とし壊してしまうような場合は、当たり前ですが床の材質が同じならば高い所から落とすほど壊れやすいです。

冒頭触れましたように、ガラスは塑性変形をしないので、ハンマーで打った衝撃力が吸収されること無く応力波のエネルギーになり、ガラスを粉々に割りながらガラス端まで伝わります。
応力波はガラス端で同相反射するので大きさが2倍になり端だけ割れることもあります。

これも先に触れましたが、自動車ボディーの鉄板部分は打ってもそのエネルギーは塑性変形の為に使われてしまいます。

その他、ガラスが割れる原因には表面の傷があり、“グリフィス亀裂 ”といいます。
ガラス切りでガラスを切る場合は、工業用ダイヤでガラス表面に傷をつけてから、その傷を大きくするように力を加えて割ります。
逆にガラスを割れないようにするには、グリフィス亀裂を無くします。
ガラス表面を薬品で溶かして製造上出来てしまった亀裂を除く、ガラスが引っ張られても亀裂が生じないように予め圧縮方向の力を持たせておく(具体的には製造時にガラスを急冷する、或いはガラス内のアルカリイオンを大きなイオンに変える)など工夫しているようです。