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身近な帰化植物

今回の話題は、【身近な帰化植物】です。
庭や道端に色々な花が咲いている季節ですね。
私の住んでいる辺りでは、街路樹のアメリカハナミズキは満開で、下に視線をやれば、色とりどりの園芸種に混じってタンポポが咲いています。
タンポポの黄色い頭花は、園芸種に負けないほど奇麗だと思うのは私だけでしょうか。
種が結実して、冠毛(白い球状)になっている姿も趣があります。
ただ、一昨日は困惑しました。
綿毛の付いた種子が風に舞って襲ってきたのです。
一瞬、ブヨかと思いました。

ところで、初春に小さな四弁淡青色の花を咲かせる“オオイヌフグリ”が『帰化植物』だということをご存知でしょうか?
帰化植物と謂うのは、人間によって外国から運ばれて来て日本に野生種のように住みついた植物 です。
外国人が日本国籍になったようなイメージを抱きますからヨーロッパのように陸続きで、しかも戦乱で人為的に国の境が変えられた国には当てはまらない概念かも知れません。
良くも悪くも“島国”だからこそです。

文献上に記録が残る前に侵入したものを『史前帰化植物』と言っていますが、一般的に『帰化植物』と言う場合は、文献上で明らかな記録が残っている安土桃山時代以降に渡来した植物を言います。
また、栽培植物が持ち込まれた場合は帰化植物とは言いませんが、栽培地から逃げ出し、雑草の様になってしまった場合は帰化植物に含めています。

また、定着の度合いによって、

  • 一時帰化(一時的、偶然的に生育)
  • 成員帰化(土着の在来植物の一員となっている)
  • 優先帰化(在来種を追い出して新しい群落を形成する)

等の区分があります。
この辺りは研究者によって色々な区分・用語を使っているようです。

オオイヌフグリ
故郷はヨーロッパ
明治中頃、東京お茶ノ水の土手で初めて見つかったらしいです。
大正初期には全国に分布
俳句では“オオイヌフグリ”を“イヌフグリ”と詠むからか、所或いは人によっては、オオイヌフグリを“イヌフグリ”と言っていますが、イヌフグリは在来種で違う植物です。
オオイヌフグリ:花は青紫色で直径7−10mm
イヌフグリ :花は淡紅白色で直径2−3mm
イヌフグリは少なくなっているようです。

オランダミミナグサ
故郷はヨーロッパ大陸
明治の末年、横浜港で牧野富太郎氏によって発見される。
命名は、牧野富太郎氏。
ミミナグサ(耳菜草)は、軟毛に被われた葉をネズミの耳に喩えたもの。
英名も“ Mouse ear Chickweed ”

ホトケノザ
一般的には在来種として扱われているが、第二次世界大戦後、在来種とは別系統の種が帰化したらしい。

ノボロギク
故郷はヨーロッパ
明治初年頃侵入
大正時代には全国に分布

オニノゲシ
故郷はヨーロッパ
明治の中頃侵入
明治25年7月東京小石川で発見。
命名は、発見者の松村任三氏。
変異したものが多い。

セイヨウタンポポ
故郷はヨーロッパ。
明治維新後に侵入。
ヨーロッパでは有用植物。
食用に改良されたものがサラダ用として輸入栽培されていた。
帰化は、北海道・札幌から始まったらしい。
「札幌ニ在テハ欧品大イニ路傍ニ繁殖セリト聞ケリ、・・・ツイニハ我邦全土ニ普ネキニ至ラン」と、植雑18(1904年)に牧野富太郎氏が記している。

ムラサキカタバミ
別名は、キキョウカタバミ
故郷は南米
江戸文久年間(1861−1863)
鑑賞用として入ってきた

ヒメジョオン
故郷は北アメリカ
幕末から明治維新(1860年代)にかけて侵入。
他の株と花粉交配する必要が無いので広がるのが早い。
渡来当初は、「柳葉姫菊」の名で珍しがられた。
中国にも帰化し、「一年蓬」と呼ばれる。
北アメリカや中国では民間薬としても使われるらしい。
若葉は食用になる

ハルジョオン
故郷は北アメリカ。
大正中期(1920年頃)に鑑賞用として輸入された。
命名は、牧野富太郎氏。
変異が多い

ムラサキツメクサ(アカツメクサ)
故郷はヨーロッパ。
明治時代に牧草として輸入された。

シロツメクサ(クローバー)
故郷はヨーロッパ
別名:オランダウマゴヤシ、オランダゲンゲ
江戸時代:弘化3年(1847年)にオランダ国から献上されたガラス製品の梱包の詰め物の干し草に混じって種子が侵入。
全国に広まるのは明治時代以降、牧草として輸入されてから。

私の身近に生えていて、しかも目立つ花を咲かせている植物だけ取り上げたのですが、帰化植物の多さに驚かされます。
HPに載せるために野草の花を探して歩いていると、奇麗な花を見つけることがあります。
一瞬嬉しくなりますが、次の瞬間には疑って辺りを見回します。
ほぼ100%、近くの民家の庭や畑に植えられている園芸種が逃げ出したものです。
“多年草、耐寒性”の植物なら野性化する可能性はあると思います。
鑑賞用に入ってきたムラサキカタバミが、今や強害草のレッテルを貼られていることを考えると、無闇に種を蒔いてはいけないのかも知れません。
現代においても、植物の伝播の功労者は、私たちであることに間違いないようです。