細胞の独立性が生物の寿命に関係する?

権力(社会的地位)と経済力を手にした者が次に望むのは古今東西を問わず“不老長寿”です。
中国料理の発展は、歴代の皇帝が美味しい物は不老長寿に繋がると信じて料理人に競わせたからだと言われています。
我が国では、豊臣秀吉の朝鮮出兵はトラの脳味噌が不老長寿に効くと信じたためだ、という説もあります。
事実、秀吉の家臣・福島正則は秀吉に送る為にトラ(虎)を獲っています。
徳川八代将軍・吉宗が中国から大量の薬草を輸入したのにも薬好きの徳川家康を真似たというより不老長寿の願いがあったのかも知れません。
徳川家康にも不老長寿願望があっても不思議ではないですが

さて、本題です。
バクテリアなどの単細胞生物の場合、親細胞は分裂して、親の痕跡も残さず2つの新しい細胞になって しまいます。
ですから、原理的に死は存在しません。
不老長寿生物です。

多細胞生物・動物の場合
動物の場合は必ず死があります。
トカゲのように体の一部が再生できても、心臓や脳など再生できないし、打撃を受ければ死ぬ場所を持っています。

問題は、植物です。
原生林に行かなくて神社やお寺などでは、はるかに私たちの寿命を超えた樹木を目にすることが出来ます。
結論から言えば、植物の死(寿命)は不明だと考えれます。
1年草や2年草の植物のように、種子を作って親が枯れてしまう場合、親は死なのですが、視点を子供に移した場合には、子である種子は条件さえ良ければ何年、何十年、・・・と種子のまま生き続けています。
挿し木や取り木などのを繰り返せば、クローンとして永久に生き続けることができます。
全国に植栽されている、桜のソメイヨシノのは接ぎ木によって増やされて生き続けているクローンです。

なぜ、植物は挿し木や取り木が出来るのか?
それは、細胞が未分化だからです。
動物の細胞は、分裂し始めた直後から用途が指定されてしまいます。
手になる細胞が足を作ることは出来なくなってしまいます。
植物の細胞は、今はたとえ茎になっていても生命体全ての設計図を持ち、しかも、生命体全てを作る能力を持っています。

また、分化した細胞は、他の器官の細胞と密に連携して生きています。
植物のように未分化の細胞は、他の器官の細胞と連携して生きているのは確かでも、「いざとなったら俺1人でも生きられる」という独立性があるようにも思われます。

この違いは、個体としての生き方も変えているかも知れません。
分化した細胞を持つ動物の場合、先ず自分の命を大事にします。
次に子供です。

未分化の細胞を持つ植物の場合はどうかと言えば、種子を大量に作り、鳥や獣、或いは風に任せて知らん振りです。
「勝手に生きろ!」です。