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一重咲きと八重咲の違い

植物にとって花は、輝いているときではありません。
 死を目の前にして子孫を残さなければならない、という足掻きとも言えるものです。
園芸趣味の方はご存知かと思いますが、窒素肥料を多く与えると植物体が大きくなるだけで花芽がつき難くなります。
また、花を楽しむ梅盆栽では葉先が丸まるまで水を切らすと言います(葉先が丸まるまで乾燥させるのが有効かは怪しいのですが)
路地植えより狭苦しい小さな鉢植えの方が早く花が咲きます。
花木や果樹で多く行われている接木は、同じ形の花を咲かせたり同じ実をとるため以外に葉茎と根の間に層を作って栄養分の流れを阻害させ、種から育てる実生よりも早く花を咲かせるものです。
早く咲かせるために、幹に傷を付けたり、幹を曲げたりもします。
このように植物は環境が悪くなると花を咲かせ実をつけるのです。 地球環境悪化などと言うまでも無く、植物には夏の暑さと冬の寒さがストレスになります。 夏の暑さから種を守るために種子を作り、冬の寒さから種を守るために種子を作ります。

ところが、花が咲けば種子が出来ると決まっている訳ではありません。
「七重八重花は咲けども山吹の 実の一つだに無きぞ悲しき」
これは、室町中期の武将・歌人で、 江戸城の基を造ったと謂われる太田道灌(1432-1486)にまつわる歌です。
狩りに出た先で雨に遭い、農家の娘さんに蓑を借りたいと頼んだところ、この娘さんが蓑の代わりに返した歌と言われています。
道灌は酷く腹を立てたのですが、 家臣に「蓑(=実の)の一つ無い貧しい暮らし」という意味だと諭され、 以後、歌の道に励んだという有名なものです。
 “山吹(ヤマブキ)”は4月頃、黄色い五弁の花を枝先にたくさん咲かせる低木で山野に自生し、庭木としてもよく見られるものです。
八重咲の山吹の花
山吹には一重と八重咲きがありますが、八重は一重の突然変異株のようです。 八重は上記した歌にもあるように花が咲いても実が成りません。

 なぜ、実が成らない花があるのでしょう?
植物の始めの形は棒状の枝です。
次に、その枝が光合成をするために“葉緑素”を持ちました。
しかし、枝は細いので太陽光を十分に吸収できません。
サボテンは茎が太くなって表面積を大きくしていますが、 多くの植物は茎を広い面積を持った“葉”に変形させました。
やがて、葉の一部は、めしべ・おしべに変り、ガク弁 、花びらになって昆虫を呼び寄せます。
さて、花びらが多い(八重咲き)花は、 起源が同じ(元は葉)である“めしべ”や“おしべ”が花びらに変ってしまった というのが、植物学では定説のようです。
総和が一定で一方が増えれば他方が減るゼロサムゲームのように、 花びらが多ければ“めしべ”や“おしべ”の数が少なくなってしまいます。種子を作る機能を失ってしまえば、偶々生まれた八重咲き種は一代限りです。

しかし、植物は生命力豊かで、種子が出来なくても枝や葉から根が出たり、 根から芽が出て枝や葉を伸ばして殖える「栄養生殖」が行えるものが多くあります。 山吹も容易に栄養生殖が出来る木で、挿し木で簡単に殖やせます。
栄養生殖は単為生殖なので、性質が全く同じクローンが殖えます。 栄養生殖が出来るなら花を咲かせる必要は無い、 と思われるでしょうが、 栄養生殖では性質が同じものが殖えるだけなので環境の変化に順応できない可能性があるのです。
花を咲かせ、昆虫や風によって別の遺伝子を持った花粉を受け入れることによって 次の世代はより環境に順応したものになる可能性が出てくるのです。 俗にいう「雑種は強い」です。
西洋種と在来種のハーフのタンポポが殖えている例などは、 暑さに弱い在来種が暑さに強い西洋種の遺伝子を受け入れて種の保存を図っている好例でしょう。