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不吉な星からナイルの星と呼ばれたシリウスとは

3月08日19時21分 シリウス南中 高度37.2度
夕食後、犬を散歩に連れて行くと、真南より幾らか西方向に木星と見間違うほど明るい星が見えます。
大犬座の主星・シリウスです。
シリウスの光度は-1.6等で、天体中、太陽、月、金星の次に明るい木星が、現時-2等弱ですから、シリウスは一際目立つ存在です。
明るいのはシリウスまでの距離が8.6光年と近いからです。
8.6光年は一秒間に30万キロメートル、地球を7回り半する光の速度をしても8.6年間もかかる距離ですが、他の恒星と比較すると桁違いに近い距離になります。

明るい恒星ですから古代から人々の注目を集め、古代エジプトではオシリス神の現れと信じられ、 夏の夜明け前にシリウスが現れるとナイル川の水嵩が増すので「ナイルの星」とも崇められ、太陽運行の法則が発見される切っ掛けとなり、 世界で初めて太陽暦が作られる因となりました。

しかし、シリウスは古代ギリシャでは不吉な星でした。
紀元前9世紀ギリシャの詩人ホメロスは、「一番輝かしい星なのに、 禍のしるしとされておびただしい病気を人間らにもたらすもの」と『イリアス』に記しています。
古代エジプトの神オシリスが弟セットに殺され、後に冥界の支配者と復活したからでしょうか。
「シリウス」の語源はギリシャ語の「セイリオス」で「全てを焼き焦がす」を意味します。

天文学的には比重の5万倍(水の5万倍の質量)という伴星と共通重心を中心に回っている連星として有名です。
ドイツのベッセル(1784-1846)が連星を予言し、1862年アメリカの望遠鏡製作者オルバン・クラークが口径46センチの望遠鏡のテスト中に連星であることを確認したというエピソード付です。

シリウスの伴星のように、白い微光を放ち、比重が非常に大きな星を白色矮星と言います。
白色矮星は小さな恒星の最期の姿です。

*『イリアス』=10年間に及んだトロイア戦争中の数十日間の出来事を描い長編叙事詩

シリウスが非常に明るく見える理由の主因は、私たちから8.5光年しか離れていないことですが、もうひとつの大きな理由は、シリウス自体も太陽の26倍の明るさを持っていることです。
と言っても数えられないほど多くの恒星が存在する中では太陽の26倍は小さく、明るい星ー例えばオリオン座のリゲルーがシリウスほど近ければ昼間でも見えたかも知れません。
(光源の明るさは距離の二乗に反比例するので、星の明るさを比べるときには距離を約33光年に直して明るさを換算します。これを絶対等級と言います)

シリウスは近くの星と共通重心を中心に回っています。
このような関係を「連星」、二つの星をそれぞれ「主星」と「伴星」と言います。
シリウスの場合は主星は眩いほどに輝いているシリウスで、正式にはこれをシリウスA、望遠鏡を使わなければ見えない伴星をシリウスBと呼び、 シリウスAには犬星、シリウスBには子犬という愛称が付けられています。

ところで、シリウスAは何色に見えますか?
白、青っぽい白、緑っぽい白に見えると思いますが、紀元前に活躍したホメロスやプトレマイオス、セネカなどはシリウスは赤い星と記しています。
司馬遷(紀元前145年頃~紀元前86年頃)はシリウスを白い星と記しているので、ギリシャやローマでは赤く見え、中国では白く見えたという訳の解らない話になっています。
シリウスは「全てを焼き焦がす」というイメージが強くて赤を連想させるのでしょうか。
そうだとしたら「眼ではなく心で見る」という当たり前の事を再確認させるものですね。

*ホメロス:紀元前9世紀、古代ギリシャの詩人
*プトレマイオス:2世紀前半、ギリシアの天文学者・数学者・地理学者。天動説を主張し、彼の考えはコペルニクス時代になる15世紀まで威厳を持っていた。
*セネカ:紀元前4年~後65年、ローマの哲学者