鯨座 ミラ

くじら座のミラが有名なのは、変光星の代表としての他に、滅多に肉眼では見られないことにもあります。
ミラが発見されたのは、1596年8月13日夜明け前です。
それまで、この星は星図に載っていませんでした。
(ですから、ミラという名は後日付けられたものですが、ここでは便宜上ミラと言っておきます)

発見したのはドイツの改革派神学者ダビド・ファブリチウスで、彼の星に対する熱意や知識は、 彼の友人に精密な観測をしたことで知られるデンマーク生まれの天文学者ティコ・ブラーエやブラーエの助手で後に惑星運動の法則を発見した天文学者・占星術師 ヨハネス・ケプラーが居たことでも分かりますが、数週間後、ミラは見えなくなってしまい、ファブリチウスはミラのことを忘れてしまったようです。

そして、ファブリチウスは2度とミラを見ることはありませんでした。
というのは、ファブリチウスは殺害されてしまったのです。
この事件は彼のガチョウが盗まれる事件から始まりました。
彼は犯人を知っているので次の説教日に公表すると言ったために、説教日の前に殺されてしまいました。
神に仕える身なので懺悔すれば許すつもりだったのでしょうか。

次にミラが記録に表れるのは、1603年ヨハン・バイエル(ドイツのアマチュア天文家)でした。
以前、星座の中で一番明るい星をα星、次をβ星と呼ぶという事を書きましたが、この命名法を提唱したのがバイエルです。
バイエルはくじら座で5番目に明るい星を意味するο(オミクロン)をミラに与えました。

次の記録は、1638年12月J・フォキリデス・ホルワンダ(オランダ人の天文学者)で、ミラを変光星としました。 彼は皆既月食の最中にミラを発見し、過去の記録を調べ上げたのです。

ミラと名づけられたのは、1648年、指導的天文学者だったヘベリウス(ポーランド)が著した 『不思議の星の小史(Historily Mirae Stellae)』に拠ります。

変光星としてのミラは恒星自身が変化して明るさを変えるタイプで、核融合に必要な水素を使い果たした恒星の最後の姿のひとつです。
太陽ぐらいの大きさの恒星は核融合に必要な水素が無くなってくると内部が燃えカスになり、 異常な膨張(太陽直径の500倍ぐらい)と収縮を繰り返し、表面の温度が下がるために赤くなってきます。
(水素の核融合というのは水素がより質量数の多いヘリウムに変化することを言い、このとき余ったエネルギーが放出されます)