身近な自然と科学

天体望遠鏡で何等星まで見えるかの計算法

この話は、2017年7月9日に始まりました。
と、ちょっと気取ってみました。

少々早すぎる酷暑に疲れて外に出てみると、東南の低い靄った空に満月が浮いていました。
手許にあった口径21mm7倍という双眼鏡を向けると、月面の大きなクレーターや海は確認できましたが、 靄っているために周囲に星1つ見ることが出来ませんでした。
しかし、天候に恵まれ、かつ、大きな望遠鏡で覗けば、 月の右側4度ほど離れた辺りに「衝」を迎える冥王星が見えるはずです。

冥王星は、視直径が0.1秒と小さい上に光度が14.17等と超暗いので 私たちが容易に入手できる小型望遠鏡では存在を確認することも できません。

望遠鏡の対物レンズの大きさがどのくらいあれば、冥王星を見ることができるのでしょうか?
まず、天体の明るさを示す「光度」について考えてみます
光度という概念は、紀元前100年代の古代ギリシャの天文学者ヒッパルコスが 肉眼で最も明るく見える恒星20個ほどを1等級、肉眼で辛うじて見える恒星を6等級とし、 その間を5つに分けたのが始まりです。
因みに、ギリシャ神話に結びついているトレミーの48星座の星座の原型を創ったのもヒッパルコスと言われています。
(トレミーは、2世紀の天文学者プトレマイオスの英語読み)

19世紀になって、光量を測る機械が現れると、イギリスの天文学者ノーマン・ロバート・ポグソンによって、 等級の差が\(100^{1/5}\)と定義され、測定精度の向上により光度に端数が付くようになりました。

等級の差が\(100^{1/5}\)ですから、1等級増える毎に約2.5119倍明るくなります。
ですから天体Aと6等級の天体との光量の差は
\({100^{1/5}}^{天体Aの光度 - 6.0}\)となります。
天体Aを冥王星(光度14.17等)とすれば
\({100^{1/5}}^{14.17 - 6.0}\)となって
冥王星は6等星の約\(\frac{1}{1853}\)の明るさになります。

光学機器を使わない裸眼で6等級の星が見えるとすれば、 光度14.17等級の冥王星を見るのに必要な対物レンズ(または放物面鏡)の有効口径は
\(2*\sqrt{{(瞳孔の大きさ/2)}^2*6等級との光量差}\)
若い人の最大に開いたときの瞳孔は直径7mmと言われているので
\(2*\sqrt{{(7/2)}^2*1853}\)
計算すると約300mmになります。

ただし、裸眼で6等級が見えないのが普通でしょうし、 現代の夜空の明るさも考えたら口径30cmの望遠鏡では見えませんね。

ふと、疑問に思いました。
1等星より明るい星は、全天で9個
1等星は全天で12個
ヒッパルコスさんは、1等級以上の明るさの星をひと括りにした?
0等やマイナスが付く星は、一見して1等星と明るさがまったく違うのに

有効口径Ammの対物レンズまたは放物面鏡を持った望遠鏡が人間の眼の何倍の光を集められるかは
\({(A/2)}^2/{(瞳孔の大きさ/2)}^2\)
何等級の天体まで見えるかは
\(log{((A/2)^2/(瞳孔の大きさ/2)^2)}/log{100^{1/5}}+6.0\)
理想条件での計算ですので、レンズ(放物面鏡)などの光学系での損失が加わり、 最終的には個人差のある眼の能力に大きく依存します。

今までの光度の話は肉眼で見たときの明るさでしたが、眼とは光の波長で感度が異なる写真では別の光度(写真等級)が使われるなど、 観測技術の進歩につれて色々な光度が生まれています。

朝になってYahooを開くと、 「海老蔵 夢で麻央さんと再会し・・・」という見出しが。
そういえば、冥王星はもっとも遠い惑星だったので、西洋占星術ではこの世と冥界の境界になっています。
(もっとも、土星が冥界との境界とされていた期間の方が長いですが)
海老蔵氏の話に戻れば、彼の経験は近親者を亡くされたご経験をお持ちの方なら少なからず経験するもので、 近親者が死後に夢に出るのは別段特異なことでもありませんし、驚くことでもありません。
信じるかどうかは貴方次第ですが、近親者が亡くなる2,3日前から不思議な感覚に囚われる事があり、 死後1,2年ぐらいは夢か現実か、幻覚か錯覚か判別できない、「霊」のようなものを見ることさえあります。

いくら恋しくても亡くなった妻に会うために冥界に入ると、 醜い姿と化した妻を見ることになるのは、日本神話のイザナミノミコトの話のとおり。
ギリシャ神話では竪琴の名手オルペウスが妻を取り戻すためにタルタロス(冥界)に降りますが、 神(妻)を疑ったことにより妻を連れ帰ることに失敗します。
一瞬でも妻が死んだと思ったときに妻は二度と戻って来ない存在になるのでしょう