進化論・中立説
現在でも“ダーウィンの自然淘汰説”が最有力なのですが、生物学が分子レベルに及んだ結果に表れたのが、 『中立説(1968年国立遺伝学研究所の木村資生提唱)』です。
この中立の意味は、分子レベルの突然変異が起こす進化は偶然に左右され、自然淘汰に無関係ということです。
この説は、動物の血液中にあるヘモグロビン(酸素を運ぶ蛋白質)を構成するアミノ酸1個が突然変異で入れ替わる確率(速さ)は、 人も馬もその他の動物も同じだという計算結果(10億年に0.8個のアミノ酸が変異する)に基づいています。
進化した動物の方が突然変異が多く、その変異した中から優れた遺伝子が選ばれ(自然淘汰)て進化に貢献していると考えれば、どの動物も突然変異の確率が同じということは、自然淘汰は関係ないという主張かな?
と思ったのですが、“何をもって進化”というかは横に置いても、私は“中立説”そのものが理解できなくて昼間から睡魔に襲われてしまいました。
昼寝から目覚めて「眠れる遺伝子進化論(講談社)」を読んでいたらこんな例が載っていました。
繁殖力の強い生物300万匹と、それよりちょっと弱い生物200万匹が入り混じっているとします。
その中から200万匹の生物を無差別に取り出します。
1回目は強い生物120万匹と弱い生物80万匹が取り出されますが、繁殖力の強い生物は徐々に増え、 2回目、3回目・・・と取り出す内に、強い生物だけが取り出されるようになります。
このモデルだと“ダーウィンの自然淘汰説”になります。
ところが、生物の数が極めて少なくなって繁殖力の強い生物3匹とちょっと弱い生物2匹が均等に入り混じった中から2匹を取り出す場合は、 強い生物2匹が取り出される可能性もありますが、弱い生物2匹が取り出される可能性もある訳です。
繁殖力の強弱に関係なく、偶然によって選ばれる訳です。
これが木村博士の提唱した“中立説”だそうです。
ヘモグロビンのアミノ酸は10億年に0.8個しか変異しないのだから、5匹から2匹を選ぶ例になるのでしょうか。
「どこまで描ける生物進化(新日本出版社)」では、中立説を支えるものに
“生物の機能上重要な蛋白質はほど分子進化が遅く(突然変異の起きる確率が低い)機能が低いか無意味な蛋白質ほど速い”という研究報告を採っています。
この報告がなぜ中立説を支えるのか?
私には理解できません。
自然淘汰説に立てば、突然変異を繰り返し自然淘汰された蛋白質が重要な機能を持つようになるのですが、 変異が少なくて重要な機能を持っているからと言って、一概に中立説にはならないと思うのです。
突然変異の確率の高い蛋白質(遺伝子)に重要な機能を持たせたら良い進化が速くなる可能性もあるでしょうが、 とんでもない蛋白質が出来て生命体すべてを殺してしまう可能性もある訳です。
このような危険な蛋白質は淘汰されて、今残っているのは変異が少なく、安全性の高い蛋白質だと解釈できないでしょうか。
“ダーウィンの自然淘汰説”は解りやすいのですが重大な欠陥があります。
「自然は優しいものだ」という哲学的なもの他に「原始的な生命体が突然変異を繰り返し淘汰され・・・」という説の始まり、 「原始的な生命体』はどう生まれたか不明で、“神の創造物”という宗教的な思想を挟む余地を残しています。