嗅覚のしくみ
匂い(臭い)というのは漠然としたものですが、漠然としている故にか、街角など歩いていて、ふと懐かしい匂いに出会い、子供の頃を遊んだ風景が思いがけず浮かんで来たりします。
そして、「あ!」とその匂いを満喫しようとしても、なぜか?
その匂いは風に舞った花びらのように一瞬輝くのみで気づいた時には感じることは出来ません。
私の場合、真夏の太陽に照らされた桑の葉の匂いが多いようです。
小学生の頃、桑畑の中の道を抜けた所に良く遊びに行った友達の家が在ったからかも知れません。
最近ではちょっとした田舎に住んでいるぐらいでは桑畑どころか、桑の木1本にもお目にかからないのに桑の匂いを感じるのは不思議なことです。
このような経験は、私だけで無くかなりの方が経験するらしく、 匂い(時には臭い)は、眼から入る情報以上に記憶を蘇らせるというのが定説のようです。
さて、このような 匂いは何であるかと言えば、空気中に拡散した分子が嗅覚器の感覚細胞を刺激したもの です。
私たちの鼻の奥の上部にある嗅上皮と呼ばれる粘膜には5百万個の嗅覚細胞があります。
嗅覚に優れた特別な犬の場合は、2億2千万個あると言われています。
単純計算では、犬は人間の44倍の嗅覚ですが、嗅覚細胞1個の性能も犬の方が格段に優れているので百万倍優れていると言われています。
警察犬などが臭いを追跡できるのは、単に弱い臭いを感じられるという他にその臭い成分の強弱と化学変化を感じ取れるからです。
この種の犬が迷わず追跡しだす行動からその能力は臭いの発生源が数メートル動くだけの時間変化から来る臭いの濃度と化学変化を感じ取れるものと思われます。
犬の場合は、動物が汗などと一緒に出す“酪酸”を感知しているようです。
酪酸は酢酸のような強い臭気を放つ物質で油脂中に エステル (注1) として存在する他、糖類などが酪酸発酵によっても生じるもので、動物は必ず出している臭い物質であり、死んだ動物の肉からも出ていて肉を漁る犬にとっては生死にかかわる臭気の一つです。(犬には“匂い”かな)
では、臭いとして感じ取れるには臭い物質がどのくらい要るのか?
カイコガ(蚕蛾)では数分子という驚異的な結果が出ています。
嗅覚の感覚細胞が臭い分子に反応して脳に信号を送る諸説
- 感覚細胞の表皮に分子が当たると化学変化が起きる
- 特定の臭い分子と鍵と鍵穴のように合う感覚細胞がある。
この説では、化学的には臭い分子が異なっても似たような外観を持っていさえすれば似たような臭いに感じられます。 - 分子は固有の振動パターンで振動しているのでそのパターンで識別する。
2の鍵と鍵穴と同じように似た振動パターンを持っていれば、似たような臭いに感じます。 - 臭い分子は色素にエネルギーを与え色素の変化が信号を誘起する。
この説は、眼のしくみに似ています。
眼は光粒子がロドプシン(rhodopsin 注2) に当たると形を変えて脳に送る信号を誘起します。
臭いの分子を捕らえる嗅上皮は、高等動物では黄色から黒まであり、人間は赤茶で、犬は殆ど黒だそうです。 そして、肌の黒い人は白い人より嗅覚が良く、嗅上皮の色素が少ない子供は大人より嗅覚が鈍いそうです。
しかし、嗅覚というのは老化による機能低下以外にも同じ人種、民族、性別、年代でも個体差が激しいです 。
友達には感じても自分は感じない、またはその逆というのは微妙な臭いのときはしばしば経験します。 また、同じ人でもお腹が空いていると食べ物の匂いに敏感になるのはどなたも経験があると思います。
犬の場合もそうらしく、1グラムの酪酸を含ませた餌を与えた後は酪酸に対して嗅覚が鈍くなり、4,5日後には酪酸に対して3倍の嗅覚になったそうです。 ( W・ノイハウスの実験 )
海に生息する動物で食べ物に対して嗅覚が鋭いのはサメ類です。
海に潜る方はご存知だ と思いますが、サメは血の臭いで何処からとも無く集まって来ると言われ、傷ついていれば仲間でも食べてしまう獰猛さです。
しかし、殆どの魚は、仲間が傷ついた臭いで逃げます。
サメのように仲間でも食べてしまう獰猛さと強さを持たない殆どの魚にとっては、先ず逃げるのが生き抜く最良の方法なのでしょう。
冒頭、匂いで過去を思い出す話を書きましたが、匂いで過去を思い出す動物の1番手は、鮭です。
1962年A・D・ハスラーは鼻孔をふさがれた鮭は川に戻れないこと実証しました。
(魚類の鼻孔は人間と違って口と繋がっていないので鼻孔をふさげば匂いは感じられない)
さて、ひとつの臭いに対して嗅覚が鋭ければ、他の臭いに対しても鋭いという訳ではありません。
前述したように人間にもあることですが、これを端的に示してくれるのは、地中に埋まっているキノコの「トリュッフ」探しの豚です。
犬も使えるようですが、豚の方が鋭いようです。
嗅覚器は必要な用途に特化して発達してきたということでしょうか
注1:エステル
有機酸または無機酸とアルコールとが脱水反応により結合して生成する化合物の総称
注2:ロドプシン=視紅
脊椎動物の網膜の桿状体に含まれる色素蛋白で、暗所では紫紅色を呈するが、光にあてると種々の吸収帯を示す中間帯を経て褪色し、光をさえぎると回復する