日時計の歴史(概略)
日時計は、太陽の見える方位を“影針”が作る影で間接的に測り、その方位と時刻を対応させた目盛りから時刻を読み取るものです。
このような簡単な仕組みですから、 カルデア人によって占星術が創始された古代バビロニア帝国時代(B.C.3000頃~B.C.539メソポタミア地方)にはあったと思われます。
遺物として残っている最古は、トトメス三世(エジプトB.C.1500頃)のもの で、時刻に拠って影の長さが変わることを利用したらしい至極簡単なものです。
原理的にもっとも正確なものはベロスス(カルデア人B.C.300頃)によって考案された半球型日時計といわれています。
上写真は、東京上野国立科学博物館に展示(2018年7月29日)されていた半球型日時計です。
半球型日時計は中が空洞の球体を半分に割り、その球殻の開口部をお椀のように水平に固定し、球の中心部に影針の尖端が位置するように設置したものやその変形です。
このような構造にする利点は、球殻の内面を移動する影針の先端の影の位置が太陽の日周運動をそのまま映していることにあります。
この点については理解し難いと思いますが、後述する平面型日時計の時刻目盛り板と対比して想像すると少しは理解しやすいと思います。
直感的に理解するなら平面な紙に描かれた世界地図の極地方は実際と異なっているが、球体の地球儀では完全に表現できるように球面(天球)上の動きは球面上に忠実に投影できるということです。
影の尖端が太陽の日周運動をそのまま映していれば球殻の内面に刻む時刻目盛りが等間隔になり製作が楽になるばかりでなく、目盛りの刻線間を目分量で読み取ることも容易なので時刻の読み取り精度が向上します。
また、影の尖端の位置は天の赤道と太陽が作る角度に比例しているので、時刻と同時に季節の移り変わりが判るという優れものです。
半球型日時計の欠点
半球型日時計の欠点は製作が面倒(球面を作るため)、時刻を読み取るとき覗き込まなければならない、戸外に設置すると雨水やゴミが溜まりやすいなどです。
このような欠点を正直に出しているものに“ スカペ式日時計 ”といわれるものがあります。
スカペとはギリシャ語で“鉢”という意味で、これはギリシャ時代後期(グレコ・ローマン期)の遺跡から発掘されました。構造は半球型日時計に似ているのですが、埃や雨水が流れ出るようにするためか、鉢のような窪んだ面に水抜き穴があるものや、鉢が斜めに固定されているものがあり、また、時刻を読み取るときの覗きやすさを考慮してか、影針の位置や目盛りの刻みが理論に合わず、装飾用としか興味がないもののようです。
精巧な半球型日時計は、朝鮮王朝世宗時代(注1)に作られた仰釜日?(ぎょうふにっき:注5)が有名です。
“仰釜”とは煮炊きをする炊事道具の釜を仰向けにしたという意味で、庶民の公衆時計として広く使われていました。
我が国の江戸時代にも半球型というより理論に合わず不正確という意味でスカペ式に近いものがありました。
影針が影を映す窪みの直径が20ミリ前後で、方位磁針付きの携帯日時計です。
ところで、日時計と言うと時刻目盛りを刻んだ板を水平にした“水平型日時計 ”を思い浮かべる方が多いと思います。
公園などにある時刻目盛りを花で彩った 花壇風の花時計も水平型に入ります。
上写真は公園に作られた日時計です(2018年11月23日撮影)。影針にするパイプ1本を緯度に合わせて傾けて出来上がりというほどシンプルな型なので、日時計見本としては非常に解りやすいです。
江戸時代のもので有名なものは宮城県の塩釜神社にある林子平(注2)製作といわれる物です。
水平型の利点は何と言っても製作が簡単、構造が簡単なので丈夫な事です。
欠点は、時刻目盛りの刻みが朝夕が狭く、正午頃が広いので目盛りが刻んでない部分では読み取りが不正確。
また、影の長さが朝夕は極端に長くなる事です。
注1:朝鮮王朝世宗時代
李朝の四代国王(1418~1450年) 李朝は1910年日本に併合されるまで続いた王朝
注2:林子平(1738~1793)
海に関する防衛を説いた知識人
注5:仰釜日?(ぎょうふにっき)
“?”は文字化けしていると思います。「キ」「ひかげ」という漢字です